カメムシを覗くとき

その日、男は重い腰を上げ、部屋の掃除をしていた。
先日、綺麗に掃除したばかりだというのに、もうすでに部屋は散らかっている。毎回片付けを終え、綺麗になった部屋を見渡すと、気持ち良い秋晴れの朝のような清々しさを覚える。その度に、「よし、この状態を維持するぞ。」と男は決意するが、その意思が突き通されたことは未だかつてない。

「あぁいつのまにこんなに散らかったんだ」
使ったものをすぐに片付けないからである。愛着を抱きやすく、過去のモノを捨てられないからである。ティッシュをゴミ箱めがけて投げ、高確率で外すからである。男は、何かが固まり、硬く丸まったティッシュを拾いながら、ため息をつく。そんなことは全て分かっている。分かっていながらも出来ないのだ。人間なんてそんなものじゃないか。煩悩の塊である。その煩悩により生まれた、丸まったティッシュをゴミ箱に入れながら、男は深いため息をつく。

男はふとベランダに目を向ける。死んだカメムシが男の視界の中に入る。このカメムシは夏の終わりごろからずっと男の家のベランダに居座っている。どれだけ月日が経とうとピクリともしないそのカメムシが男の目に写る度に、カメムシも男のことを見つめているように感じ、男は洗濯物を干す作業が億劫になりつつある。

このままカメムシと年を越し、春を迎え、1年記念日を祝うことを男は想像してしまう。キャンドルを灯しシャンパンのグラスを片手にHappy Anniversaryと描かれたケーキを一緒に食べて祝うのだ。
「1年間ありがとう。2年目もよろしくな、カメムシ
ここまでしっかり想像し、男は身震いする。やがてカメムシにも愛着を抱いてしまったら大変だ。いよいよ男とカメムシは生涯を共にしなければならなくなるだろう。明日気力を絞り出して処分しよう。男は決意する。例によって、この意志は明日にはどこかへ行っている。そして基本的には戻ってこない。どこかへ行ってしまった意思があったことさえ、男は覚えていないだろう。

なんとか無事に片付けを終えた男は、綺麗になった部屋を見渡す。モノがあるべきところに収納され、幾分か広く感じる。気持ち良い秋晴れの朝のような清々しさが、そこにはあった。

 「よし、この状態を維持するぞ。」
男はゴミ箱にティッシュを投げながら決心する。

 

 


その様子をカメムシはベランダからじっと見ている。